[]不完全燃焼のまま死にたくないという焦燥に駆りたてられる。




 と、書いていたら調子にのって来たからさらに書くのだけれど、この動機にかんする記事を書いていて、はっきりわかった。ぼくは、ようするに早く死ねるようになりたいのだ。満足して死ねるようになりたいのだ。

 勘違いしないでほしいが、「早く死にたい」わけではない。そうではなく、早く、いつ死んでもいいという状態になりたい。生を完遂したい。ぼくという生の、そのゴールにたどり着きたい。ぼくという人間の可能性を出しつくしたい。いい方を変えるなら、もうこれ以上は行けないという、その限界を見極めたいのである。

 二冊の同人誌はそのための方法だった。しかし、どうもいけない。二冊ともそのときはそれなりに満足していたのだけれど、そしてぼくのそのときの限界であったことも事実だけれど、しかしやはり不満足である。

 まだ死ねない。まだ死んでしまうわけにはいかない。この程度ではだめだ。お話にならない。もちろん、満足などほんとうはありえないのかもしれない。ひとはどうしようもなく未練をのこして死ぬものであるのかもしれない。

 しかし、それでもある程度の満足というものは達成できるだろう。ぼくはまだそこに達していない。不満だ。不満である。どうしてぼくはこう努力できないのだろう。自分のすべてを燃やしつくすことができないのだろう。情けない。惨めだ。

 もっと努力しろ。心からそう思う。しかし、そう思いながらも、ぼくはついに努力することなく死んでいくのだろうな。そうも思う。不完全燃焼のまま、燃えくすぶったまま、死んでいくだろうな。そうも思うのだ。

 いやだなあ。哀しいなあ。でも仕方ないことなのだろうか。いいや、仕方なくなんてない。まだなんとかなるはずだ。いまから心をいれかえれば、まだ間に合う。

 しかし、そうではないのだろうか。本当はもうとっくに間に合わなくなっているのだろうか。もう生を燃焼させ尽くすには歳をとりすぎたのだろうか。このまま不完全燃焼のまま、中途半端のまま死んでいかなければならないのだろうか。そう、思い悩む今日この頃。

 ほんとうはこんな悩みは無意味なのだ。間に合うか間に合わないかなんて考えている暇があったら走るしかない。走ってみなければ間に合うかどうかはわからないものなのだから。それはわかる。わかるのだけれど――それでもつい不安になる。

 ぼくはまるで無意味なことをしているのではないかと、悩む。この悩みじたいがいかにも凡夫の悩みだ。才能というか強い動機があるひとは、そこでは悩まない。「だめかもしれない」「門はすでにとじているのかもしれない」なんて考えない。

 とにかく走って、その結果として間に合わないということはあるにしても、間に合うかどうか思い悩むことで時をロスしたりはしない。ほんとうにぼくはだめだなあ。あまりに中途半端だ。あまりに余裕をのこしている。行動に贅肉がつきすぎている。

 もっとシンプルであるべきなのだ。もっとピュアであるべきなのだ。想いに専心しろ。自分を研ぎ澄ませ。まだだ。まだだ。まだまだだ。もっと行けるはずだ。もっと遠くまで届くはずだ。お前は不純すぎる。お前は半端すぎる。余計なものを背負っているわりに、大切なものをそなえていない。

 お前の限界はもっと遠くにある。まだ耐えられるはずだ。耐えなければいけないのだ。こんな、いかにも半端な姿をさらしてくすぶったまま死ぬわけにはいかない。さあ、走れ。走れ。走れ!

 息が続かなくなるまで走るのだ。否。息が続かなくてなっても、血へど吐いても、本当にもう一歩も歩けなくなるまで、指一本動かせなくなるまで走り続けるのだ。それが人生を完遂するということ。そうしてたどり着いたところが、お前の行ける最果てだ。

 ああ。そこにたどり着きたい。それほど遠くでなくてもいい。しょせん、ぼくにたどり着けるところなどしれてはいるだろう。けれども、少なくとも自分にできることを余裕をのこしたまま死にたくはない。それがどれほどつまらない地点だとしても、自分に行けるかぎりの彼方まで行きたい。

 こんなことを考えないひともいる。ただ自分であるだけでみたされるひともいる。ぼくはだめだ。焦燥がぼくを灼く。何をしているのだ。時が過ぎるぞ。もう、門がとじてしまうぞ。そう、ぼくに囁くものがある。焦る。だめだ。だめだ。こんなことではだめだ。そう思う。

 しかし、そのわりにぼくは走りだすことができない。どうでもいいことで悩んで時を浪費してしまう。焦る。辛い。いかにも半端なまま終わってしまうことが恐ろしい。早く死ねるようになりたい。早くみたされて死ねるようになりたい。

 無理か。無理なのだろうか。いいや、そんなことを考えるな。走れ。とにかく走れ。何も考えずに走れ。悩みに追いつかれるな。いまのお前ののろさは亀のようだ。亀でもいいが、血を吐きながらすすむ亀になれ。

 天はお前に特別の天稟をあたえなかった。お前は凡夫、あるいはそれ以下だ。だからお前にできることはたかがしれている。そのたかげしれていることをやりつくして死ね。

 ああ。早く早く死ねるようになりたい。まだだ。まだだめだ。今回もだめだった。遠い天をめざして飛び上がったつもりだったのに、まるでかたちだけのことに終わった。自分の限界を見たい。究極に至りたい。それがどんなにとるにたりない限界であり、究極であるとしても、そこまでたどり着いてから血を吐いて死んでゆきたいのだ。

 それなのに、ぼくは余力をのこしている。全力疾走し切れていない。何ということだ。何という脆弱さ。次はもっと力を振り絞れ。そして次の次こそは全力を使い尽くせ。次の次の次は――そうだ、そんなものはないかもしれない。

 思い知れ。お前に次など与えられていないかもしれないのだということを。たったいちど失敗することが、とりかえしのつかない致命的な失敗となるかもしれない。そうしてみじめに余力をのこして死ぬことになるかもしれない。それがいやなのだったらもっと努力しろ。

 いまのお前はもてる可能性の何割もだしていない。いいや、100%だしているとしても、100%ではだめなのだ。不可能な120%を、200%をだしてから死ぬということが生を完遂することなのだから。

 お前は弱い。お前はだらしない。お前はすぐ逃避しようとする。逃げたければ逃げろ。しかし、その対価は高くつくぞ。それは後悔という名の対価だ。いずれ路傍に倒れ伏して死ぬとき、お前は悔やむことになる。ああ、あのとき、と。もっと力を振り絞っていれば、と。

 その時はすでに何もかも遅い。だから走るとすればいまなのだ。いましかないのだ。たしかにお前に与えられているものは、いまというこの時をおいてないのだ。さあ走れ。もっと走れ。全力を超えて肉体が壊れるまで走れ。壊れてもなお走れ。それができないのだとすれば、お前は無だ。

 そうはいってもお前は走らないことだろう。走ったふりをしてごまかすことだろう。お前はそういう人間だ。そういう弱いつまらない人間だ。凡夫だ。愚人だ。どうした? 走るつもりになったか? それで走っているつもりなのか?

 ほんとうに走っている人びとはお前の百倍も走っている。お前はだから何ものにもなれない。それでもいいというなら休むがいい。眠るがいい。いやなら、走れ。そうだ。走りつづけろ。

 それがまさに亀のようにのろい速度であるとしても、お前の全力であるならそれでいい。お前はうさぎに生まれなかったが、亀には亀の道がある。その道を往け。走れ。走りぬけ。そのさきにしか、お前がみたされて死んで行ける可能性はない。お前はそういう人間だ。

 お前はお前を完遂して、死ね。