[]島田紳助は何を楽しみに生きているのか。




 おそらくレビュー記事をめあてに「Something Orange」を読まれている方はそんなものべつに読みたくねえよ、と感じられるかと思いますが、また同人誌の話から始めます。いやあ、一冊目も大変だったけれど、二冊目も大変だわ。

 しょうじき、書き始めたときは楽勝ムードだったんですよ。前作は穴だらけなんだから穴を埋めればいいじゃん、そしたら完成度が上がっておもしろくなるじゃん、楽勝楽勝、という単純な発想だったんですが、じっさい書いてみるとそううまくはいかない。

 いや、穴を埋めることはできるんです。でも、穴を埋めても最高到達点は高くならないじゃん! 最高到達点高くないと意味ないじゃん! という、目を背けていた事実(笑)が立ちふさがるわけですね。

 前作の最高到達点はあきらかに最終章にあって、これはそうなるよう計算して構成したわけですけれど、その高さを超えないと前作を超えたことにはならない。そこで、四苦八苦しつつ何とかさらに高いところを目指しています。

 しかし、そもそも前作の時点で自分にできるかぎりのものはすべて出しつくしたわけですから、そう簡単に乗り越えられるわけがないんだよね。でも乗り越えられないならそもそも書く意味がない。辛いところですね。

 まあ、それでもまだ今回は乗り越えられると思うし、そのあとももう一回くらいぶんは「先」が見えているんだけれど、いつか本当の意味でのピークが来るかもしれない。そうしたらどうするかというのはむずかしい問題です。

 けっきょく、それでもなお、乗り越えようとするしかないんだろうけれど――たぶん、じっさいに乗り越えていけるひとはそういう問題そのものを考えない。ただ目の前の一歩だけに集中するんでしょう。

 ふつう、物語というものは頂点をきわめたその瞬間に終わります。たとえば世界チャンピオンになった瞬間に幕をとじる。だから、世界チャンピオンがその後どうやって防衛戦を重ねていくか、そして引退したあとどう生活していくか、ということはあまり描かれない。盛りあがらないからです。

 しかし、現実には人生は頂点をきわめたそのあとも続いてゆく。これは、とてもきびしいことですよね。

 ちょうど、いま、はしさん(id:hasidream)が、


 そういう「仕事(夢)」との出会い以前を描いている物語が書きたいナーと思っているんですけど……それ難しいよなー。どうすりゃいんだろう。とかそんな無駄な悩みを繰り広げる今日この頃でした。

 と書いていて、いや『敷居の住人』読めよ、ってかんじなんですけど、ぼくがいま考えていることはまさにその逆で、「夢が叶ってしまった」そのあとはどうやって生のモチベーションを維持していけばいいんだろう、ということなんですよね。



敷居の住人 新装版 1 (BEAM COMIX)

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 いや、夢なんてふつう叶うものじゃないので、あまりそういう心配はしなくて良いかもしれませんが――でも、生きていると、ときには叶うこともあるんだよね。というか、叶えてしまうひともいるわけですよ。そういうひとはそのあと何をすればいいのか、ってことなんですけど。

 ぼくがイメージするのはたとえばお笑い界の頂点に立つ島田紳助のことなんですが、かれもたぶん若い頃「天下をとる」ことを目的にステップアップしていられた時代は楽しかったと思うんですよ。

 でも、かれには幸か不幸か天才的な才能があり、じっさいに頂点に立ってしまった。それから先どうするか?というと、それはもう「現状維持」しかないんですよね。その上はないんだから。チャンピオンなんだから。でも現状維持ほどつまらないことはない。「島田紳助の憂鬱」ですよね。

 まあ、凡人には縁のない悩みのようですが、そうでもなくて、凡人の人生には凡人なりの「頂点」というものがある。それを過ぎたあと、何を目指して生きて行くのか? これは重いですねえ。

 いまのところ、ぼくはまだ人生の頂点は過ぎていない、頂点はまだ先にあると思っているんだけれど、これはただの思い込みに過ぎないから、ひょっとしたら本当はもうとっくにそんなもの過ぎているのかもしれない。そうだとしたら、どうすればいいのか?

 引退したスポーツ選手には、事件を起こしたりするひとがけっこういますが、いったん絶対的な「熱さ」を味わった人間が、もうそこに到達することはできないと知りながら生きることは拷問だと思うんですよ。

 水泳の北島康介選手なんかは、2度目のオリンピック制覇を果たしたとき、友人から冗談まじりに「お前の人生、ここがピークだな」というふうにいわれて、非常に反感を覚えたということです(テレビで見たエピソードですけど)。

 そのあと北島選手は長年連れ添ったコーチと離れてひとり渡米するわけですが、これはコーチなしでもやっていけると判断したとかではなく、もうそうしないとモチベーションが保てないんだと思うんですよ。人間、現状維持のために必死の努力はできない。

 ちなみに島田紳助松本人志の対話を読むと、ここらへんのことが記されてあって非常に興味深いです。松ちゃんが映画を作ったりするのも、つまりはここらへんの問題が絡んでいるんだろうなあ、と思いますね。



哲学 (幻冬舎文庫)

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 まあ、だったらどうすればいいのかって答えはないのですが――自分の頂点を延々と更新しつづける人生というものは非常にまれなわけで、どこかで頂点を迎え、あとは下降していくことになるわけでしょう。それって残酷だよね、と思うのです。

 ここでいう「頂点」とは、かならずしも世間的評価のことではなく、何というか、自分自身の熱量の頂点ですね。もう二度とは到達できないほどの「熱さ」にたどり着いてしまったと感じたとき、そのひとの残りの人生は「余生」になる。

 「余生」にも楽しみはあるとはいえ、それはしょせん自分自身を燃焼させ切るカタルシスとは比較にならないのではないでしょうか。そういう意味で、ぼくは、島田紳助が何を楽しみに生きているのか非常に気になるのです。