『死想の血統』。






死想の血統 ゴシック・ロリータの系譜学

死想の血統 ゴシック・ロリータの系譜学

 読了。

 いやあ、素晴らしいですね! 高原英理の『ゴシックハート』、『ゴシックスピリット』も良かったけれど、それらに匹敵するか、あるいは上回る名著だと思う。何といってもわかりやすい。ウォルポールの『オトラント城奇譚』から始まり、現代日本のゴシックロリータ文化にいたるまでのゴスの歴史を懇切丁寧に解説している。

 『ゴシックハート』、『ゴシックスピリット』は自然、文学を中心にしてゴスを語っていたが、本書では文学を含めたゴシックアート全体に視野が及んでいる。素晴らしい。素晴らしい。素晴らしい。

 特にそれぞれ全く異なる文化である「ゴシック」と「ロリータ」がなぜ融合したのか? その秘密を二千年の昔にまでさかのぼって解き明かしていくあたりは圧巻。

 著者によると、キリスト教によって抑圧され、時には「悪魔」とすらされてきた異教の女神たち、そのはるかなはるかな後継者がルイス・キャロルのアリスであり、そのアリスのさらなるこだまが日本のロリータ文化であるという。

 つまり、いまこの極東の島国にあふれるロリータ文化ははるかな太古の女神アルテミスやキュベレイの遠い遠い後継者だというのだ。うーん、まさかあのフリフリのドレスにこれほど深い歴史が隠されていようとは。

 ぼくはこの本、ゴスの本だと思っていたのだが、最後まで読むとゴスよりもはるかに古い「グロテスク」という文化について語った箇所が最も印象にのこる。グロテスクはキリスト教よりも、つまり西洋文明そのものよりも古い歴史をもつ文化であり、さかのぼればそれは先ほど述べた自然崇拝、女神崇拝に行き着く。

 キリスト教はそれら「野蛮」な文化を「聖母マリア信仰」というかたちで取り入れながら、同時に「異端」として封印する。ところが、それはそうやって封印されながらもしつこく生きのこり、近世にいたってゴシック、バロックロココといった文化を生み出すのだ。そうしてゴシック・ロリータもまた、そのグロテスク文化の遠い子孫なのである。

 こうして読んでいくと、ヨーロッパ二千年の歴史とはつまり、「正統」(キリスト教主流派)と「異端」(反キリスト教主流派)の血で血を洗う闘争の歴史だったのだなあ、とわかる。

 マルキ・ド・サドがなぜあれほどの酸鼻きわまる物語を紡いだのか。それは唯一なる「神」を崇める「正統」なる教義を攻撃するためだったのだ……。ようやく理解できた。頭悪くてすいません。

 ということは、日本でたとえば団鬼六あたりが書いているSM小説は、あれは西洋的な意味でのSMとは全く違うものだということになる。それはどこまでも日本的な花鳥風月を愛でる美学の延長線上にあるもので、「正統」対「異端」の血みどろの闘争などとは無縁なのだ。

 日本文学でそういう意味でのSM小説を書いたのはただひとり、「天皇」という「神」を穢すことを夢みた三島由紀夫ということなのだろう。

 ああ、そのむかし西洋人が日本人を「教化しなければ」と考えた理由がよくわかる。西洋人からみれば異端そのものであるSM的な風俗を、歌舞伎というかたちで国民的に楽しむ民族なんだものなあ。なんだこいつら、と思うわ、普通。

 それにしても本書を読んでいると、ヨーロッパを理解するためにはやはりキリスト教を理解しなければならないんだな、ということをつよく感じる。あまりにあたりまえのことかもしれないが、ぼくはそこらへん、サボりまくりなのである。聖書もろくに読んでいない。

 教養がないという次元じゃないな、これは。もう遅いかもしれませんが、これから勉強します。とりあえず「正統」を学ぶために聖書学の本を、「異端」を学ぶために悪魔学の本を読んでみよう。

 でも結局ぼくは日本人なので、やっぱり花鳥風月の世界にしか共感できないことだろう。それで全然かまわない。ただヨーロッパという「異世界」を知ることによって日本というもうひとつのふしぎな世界を知りたいと思うだけなのだ。

 もっと本読もうっと。