[]丁寧に生きる。




 まあ、こんな時間に更新しているのは、さっきまでずっと寝落ちしていて、夜中に起きてしまったからなんですが。こういう突然に空いた時間は何か勉強でもするべきなのかもしれないけれど、たまには放置ぎみのブログを更新するのもいいな、と思い至ったのでした。

 このブログももうずいぶん前に全盛期を過ぎて、いまでは放置されて寂れているのですが、それでもたまにはこうして真面目に更新する気になるわけです。いやまあ、真面目とはいっても、このようにだらだらと続く文章は本当はまるで本気ではないわけですけれど。

 本気の文章とそうではない文章の差異がどこにあるとかといえば、簡単な話で、集中力の違いであるわけです。どこまで自分の感覚を鋭く研ぎ澄ませるか。その差がすべてだといえます。だから、このような雑文と同人誌に書く文章とでは、同じ人間が書いていても質的にまるで違うものができあがる。

 同人誌の文章は、細いただ一本の線を丁寧になぞっている感覚があるのですが、ブログの文章は適当です。いいかげんです。ただ書きたいように書いているだけです。そういうわけでブログの文章は特別おもしろくないとは思うのですが、まあ、そのかわり本気を出していないぶん読みやすいかもしれません。中身はないんだけれど。

 こういう文章はそれはもういくらでも書けますね。何も考えずに書ける。話すように書ける。というか、話すよりも楽かもしれん。ただ、読む方は全然おもしろくないとは思うので、どうしても書くモチベーションが上がらないんですけれど。

 まあ、書くだけだったら文庫一冊分だいたい一週間あれば書けると思います。それはほんとうに書くだけになってしまうので、書けるとはいえないかもしれませんけどね。

 最近、Internet Archivesで昔のログを読んでいたんだけれど、昔はほんとに気合いれて書いていたな、と。それはもう暇なのか?と思うくらい。いやまあ、じっさい暇だったんだろうけれど、それにしても色々やったもの。

 いま、このブログに過去ログがのこっているところは既に衰えているわけです(笑)。何をするにも全盛期というものがあって、それを過ぎると衰えていくのだろうと思いますね。33歳にしてぼくはその絶頂を過ぎてしまったのでしょう。あと何をして生きていけばいいのかわからないですね。

 いやまあ、そうはいっても、それはただブログに飽きただけで、自分の可能性を使いつくしたとはいえないこともたしか。もっと丁寧に生きなきゃいけないなあ、とは思うんですけどね。なかなか……。

[]真っ白な灰に。




 何がいいたいかというと、この「Something Orange」も全盛期はそれなりにおもしろかったということです。真剣に書いていたから。それがなぜこのような惨状を呈すにいたったのか、すべてはモチベーションに原因があるといえるでしょう。

 ようするにやる気がないのです。書きたくないのです。めんどくさいのです。いやまあ、書きたくないというと語弊があるか。書くことはいつだって楽しくはある。でも、自分を研ぎ澄まして真剣さを突き詰めるほどのモチベーションはもうないんだよなあ。

 真剣な文章とそうでない文章はぼくのなかではまったく別ものなんですよね。必ずしも真剣に書けば良いものが生まれるというわけではなく、やる気が空回る場合も過去いくらでもあったのですが……。でもまあ、こんな「まあ」ばっかり入るテンション低い文章書いているよりましだよね。

 はあ(ため息)。ぼくの人生こんなことでいいのだろうか。こんなやくたいもない文章を書いていてどうしようというのだろう。何だか哀しくなってきた。夜中にブログを更新するとろくなことはないのかもしれない。夜ラブレターを書くなっていうしな……。

 まあ、実質的に対になっている二冊の同人誌を仕上げて、ぼくのなかで何かが燃えつきてしまったんでしょうねえ。『BREAK/THROUGH』と『戦場感覚』、この二冊にはぼくがいま持っているものすべてをつぎ込みました。ほぼ完全燃焼できたと思います。真っ白な灰になれたと思います。

 でも、それでもしばらくすると、ああ、全然だめだったなあ、と思うんですよね。こんなものじゃないだろう、と。ここらへんは業というかどこまでいっても納得できるものではないのかもしれませんが、でもなあ……。

 いやまあね、生まれ持った能力の低さというものはいかんともしがたいわけで、そのなかで全力を尽くせればいいとは思うのですが、山はまだまだ高いなあ、と。ううう、ほんとに哀しいね。

 べつに記念碑的傑作を書きたいとかそういうことではないんだけれどね。仮にそういうものを書けたとしてもしょせんうたかた、須臾の夢に過ぎないのだとは思うし、悠久の時のなかでどれほど意味があることとも思わない。

 しかし――ぼくはただ、生きているうちに「己」という、この、神にあたえられた分際を燃焼させつくしたいのだな。二冊の同人誌でとりあえず手持ちの武器は使いつくしたので、次は武器の補給から始めないといけないと思います。

 「次」は、まあ一年後かなあ。その頃までに既刊二冊を上回るものを書ける確信が抱けていればですが。そのあいだに『人類ブタ科』とか、電書ブックガイドとか、そういうものは書くと思いますが、同じ路線での真剣勝負は一年は無理だと思う。

 あるいはこの路線はもうこれで終わりかもしれません。次は小説とか、そういうべつのフィールで勝負することになるかも。まあ、ぼくは自己満足さえできれば何でもいいのです。富もいらぬ名声もいらぬ。ただ、己の「技」が行けるところまで行けばそれでいい。それだけのこと。

 すべては、神聖なむなしさにささげるわずかばかりの供物。

[]ペシミズム。




 まあ、ぼくも大概、ペシミスティックな人間かもしれません。富も栄光も、愛情も、何も信じられない。金メダルも世界チャンピオンも、絶対的な価値があるとは思われない。しょせんみな百年も経てば忘れ去られることではないか――。

 そう、ひとと比べて、競って何かしらの「結果」をのこす。そのことに意味があるとは思えない。いや、この世のすべてのものに何の意味があるとも思えない。この世はやはり夢だと思うし、それも須臾のうちに風に吹かれて崩れてゆくような儚い夢であるに過ぎない。

 悠久のなか、すべてはやがて失われてゆく。だからこそ、その「無意味」を究めること、「いま」というそのどうしようもないむなしさに自分のすべてをささげることが、ぼくにとっての唯一の価値なのだと思う。

 何だかそういうふうに考えてゆくと、あらためて「幸せ」とはほんとうにぼくには手に入らないものなんだな、ということがわかって哀しくなりますね。「いま」に満たされて充足することはぼくにはできないのだなあ、と。それが「闇属性」だってことなんですけれど。

 べつだん、自分が不幸だとは思わない。あたえられるだけのものはあたえられて生きてきた。しかし――それらすべてはやはり無意味なのだと思う。儚すぎる夢なのだと思う。どんなに手に入れても手に入れても数十年で無に帰すさだめではないか。むなしい。何もかもみな、むなしい。

 山のあなたの空遠く「幸」住むと人のいふ。そう、「幸福」とは、いつも「山のあなた」にあって、手が届かないものなのだと思う。少なくともぼくにとってはそうだ。

 ぼくはべつだん幸せになりたいと思って生きているわけではないけれど、しかしそれもけっきょくはすっぱい葡萄のたぐいでないとどうしていえるだろう? そう、心疲れ、果てしない歩みに倦んだ時、ひとは「幸福」に憧れる。

 しかし、それはぼくには届かないものなのだ。手に入らないものに過ぎないのだ。まあ、非モテとかの活動にはまったく賛同しないんだけれど、ぼくにもやっぱり一脈通じているところはあって、時々ほんとうに「ああ、いいなあ」と思いますね。しあわせに生きられるひとたちはいいなあ、と。

 トルストイに『光あるうち光のなかを歩め』という作品がありますが、ぼくにとって光はあまりに縁遠いものに思えます。べつだん辛いとか苦しいというわけでもなく、いや辛いし苦しいけれどもそれに特別の意味を見いだしているわけではなく、だからこの世は楽しいところでもいいはずなのだけれど、でもやっぱり何もかもむなしい。すべては時の波濤に崩される砂の城

 それでもぼくはやはり「幸せ」というものに憧れているところがある。決して手に入らないもの、そのようにできているものではあるのだけれど、それでも、ふと手をのばしてみたいと思うことはある。それはまあ、疲れているときなんだけれども。

 ああ、ほんと、「幸せ」なひとたちがうらやましい。ただ、それはどうしようもなくぼくのてのひらには入ってこないようになっているのだ。悲劇の主人公ぶっているのではなく、たしかにそうなのだ。

 そういう意味では、人生、ほんとにしんどいですね。たたかってたたかって、その先に何があるのかといえば、何もない。ぼくはひとりだ。ひとりぼっちだ。くだらない。ただの自己憐憫か。いや、そうじゃない。「ただそうである」というだけのこと。

 ぼくがどれだけ苦しもうが、嘆こうが、そんなことはいかにもくだらない。何もかもばかばかしい。虚無だ。しかし、その虚無にすべてをささげよう。それ以外やるべきことはない。そうでなければいますぐ死んでしまっても同じなのだから。

 ぼくには「幸福」は届かない。ただ、ひょっとしたら、それでも満足して死んでゆくことはできるかもしれない。いやまあ、できないだろうけれど、その可能性を信じる以外に道はない。それだけがぼくが赦されたただ一本の「道」。

 哀しい。


「うーん、幸福って何?」
「またすごい質問だなあ」
「なんだと思うの?」
「そうだなあ、わからないけど、なんとなく、今思ってるものだけどいい?」
「うん、なに?」
「ガラクタ」
「えー、幸福はガラクタなの?」
「気に入らなかったら、違うのもある」
「なに」
「ほら、マンガとかでさあ、馬の頭に釣り竿つけて、先っぽにニンジンつるすでしょ。馬はそれを追いかけてずっと走るって」
「うん」
「あのニンジン」

『CARNIVAL』